お気軽にお問い合わせください
0944-72-4522
弥陀(みだ)をよび 弥陀(みだ)にひかれて ひたすらに 白きこみちを たどりゆくかな 大谷嬉子お裏方
宗教法人西方寺
宗教法人西方寺
宗教法人西方寺

法雲山 西方寺について

西方寺について

お寺には必ず誰か人がいます。空になったり、昼間鍵がかがっているようなことはありません。いつでもお参りください。

西方寺は天正十六(1588)年に創建されました。関ヶ原の戦いの十二年前になります。
開基は、 僧慶信(足利安芸守政信)、以来この地で浄土真宗のみ教えを護ってきました。
現在の西方寺の本堂は、江戸時代の後期文政年間に建てられたものです。今から百八十年ほど前になります。当時の柳河は掘り割りの水も豊かで、たいそう美しい町でなかったかと思います。

西方寺の本堂は、よく見ると、向拝(ごはい)口をはじめ、柱の上部や梁(はり)など至る所に、細かな彫刻が施されています。どうやらこれは、柳河藩のお寺の特色のようです。
柳川市史編集委員会『柳川市の社寺建築Ⅰ・Ⅱ』という本があります。その中で、西方寺に関する記述で、「向拝(ごはい)周辺は柳河藩の特色ともいうべく大層に彫刻が多くて華やかさが際立つ。」とあります。向拝(ごはい)とは、本堂正面の入り口のことです。向拝の獅子飾り・龍飾りは、どこでも見かけることができますが、柳河藩のお寺は、それがたいそう華やかなもののようです。
この本には、さらに「向拝(ごはい)上端周辺彫刻は、江戸時代後期の柳河藩の彫刻技術の粋をあつめたものであろう。」とあります。本堂建築の時期も、江戸の技術が円熟した頃なのでしょう。

向拝以外でも、本堂の内部の梁(はり)などに色々な細工が施されています。
日頃あまり気にしない本堂の彫刻ですが、お寺を訪ね、聞法がてらその意匠を見て回るのも面白味があると思います。

詳細はこちら